あの日。
蒅に藍の殻と種が混じって、困り果てていた
あの日。
特大ステン甕に藍を建てなおし、誰にも断りなしに昼間に一杯やり、
奥の院から「こんなのあった」って、とある御大。
シレッと取り出したるは金太郎。
子どもの腹掛け、というのは、まあ、建て前である。
とはいえ、実際に合わせてみれば、目出度いことこの上ない。
使われることをどこまで想定してこしらえたかは疑問。
大店の旦那衆がシャレで「紺定」に作らせた、洒脱で酔狂なお遊びだ。
最上等の手紡手織木綿に、最上等のくっきり。
正藍型染の逸品。
作って数十年、ころりとお忘れだった旦那はこちら。
月日荘展でも、メインに掲げておいた。
残念ながら、もうありません。
名品・金太郎をお持ちの、リバマ後方広報支援活動の前線部隊が動いた。
さて、なにが始まるのか。
張り子を作るらしい。
まさかこの子に着せるとか?
下に敷くのでもなさそうで。
ははーん、お見事。
そうきましたか。
染めてから数十年経ち、別のオトナの酔狂なタンゴが出来上がった。
甘すぎず、辛すぎずの、絶妙な金太郎よ。
あのころの旦那衆や「紺定」本人にも見せびらかそう。
ふたまわりもみまわりもして、この解釈。
どーよ。
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