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2015年 07月 08日
SKTAKDHP終会
5月に催した「正藍型染師 田中昭夫の布、今度こそ最後の頒布会」、略してSKTAKDHP。

その搬出時。
「赤帽荷物と一緒にそのまま帰ってね」と伝えたとき。

「さいご、みんなで一杯やらないと」と言いかけた御大を「それはまた今度、今日は赤帽さんと帰って!」と制したっきり1か月半。

その間、まさかの「積み忘れ反物サイト」のOPENがあり、CLOSEがあり。
「手伝いの人たち」にお礼がしたい御大は指折り数えてお待ちだっただろう。

7月になり、ゲリラ実行部改め、田中ガールズこと「手伝いの人たち」は、ようやく御大の許へ集まることが出来た。

みごとなまでに曇天の川口駅。
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いつもの12月田中学校。
今日は7月田中学校。
念のため再度、ここで降りるんじゃありません。
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久々の見慣れた田中紺屋。
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うれしかったのは、建物に近づくと、うっすら藍の香りが漂っていたこと。
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ニコニコ笑顔のお出迎えが、すっかり板についた田中御大。
さっぱりヘアってことはハレの日なんだな。
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座布団カバーも新調していた。
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黒幕津田千枝子、参謀けろ企画、工芸ライター田中敦子、布とお茶を巡る旅、丘の上から通信、月日荘が集まった。

近所のトンカツ屋から出前をとっての、ささやかな(って御大主宰なので、わたしが言うこっちゃないですけど)宴席だった。

あの後はじめて集まり、それぞれがSKTAKDHPについてのお礼や感想や労いを述べ、結局のところは御大を肴に一献傾けた。

肴にされながら御大はずっと笑顔だった。
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「あの時はこーだったよね」「こんな騒ぎになるなんてね」「だって田中さん、扉閉めちゃうんだから」
いまとなっては全て笑って話せることが幸せ。
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都合が合わなかった「手伝いの人たち」も居たが、その人たちのことも、御大は気にかけていた。
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宴席の前に、いちおう恒例になっている「家探し・奥の院発掘」的なことをしてみる。
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不穏な発言をする御大について行った。
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詳しいことはみなさまと我々の心臓のために伏せておくが、耳と目を疑う事案があった。
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こんなところに、あれがこんなにもあったなんて。
ああ。
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わたしはもう驚かない。
そして、見なかったこと、聞かなかったことにする。
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ちょぼちょぼと、小さな染め仕事をやっていく気満々の御大。
いくつになっても職人は忙しい。
夢がまだまだたくさんあるらしい。
そんな不穏すぎる動向を、これからは草葉の陰からそっと窺い、見守っていきたい。

そーっとね。

さて、昨秋のツアーで大きな反響を呼んだ、若い衆を覚えていますか。
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彼の存在もSKTAKDHPの行方に素晴らしい作用をもたらした。
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時代は巡って、さらに一周二周し、ずっと不遇(とは御大は決して言わない。いつだって「オレは運が良かった」と言う。そこがすごいところ)だった仕事を、消えゆく寸前の寸止めで、もしかすると最高のタイミングで多くの方へご紹介できたのかもしれない。

SKTAKDHPのキーパーソンである彼も宴席に呼んだ。
お互い、あの日の正装とは打って変わったスタイル。
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完全に、フツーのおじいちゃんと孫の図。
よかった。

さてさて、みなさん、ありがとう。

そして御大は元気です。

by kerokikaku | 2015-07-08 23:28 | 正藍型染師 田中昭夫


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