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2019年 02月 28日
藍人生、全う
リバマことリバーマウスこと川口。

そういえば夕方に降り立ったこと、なかったなあ。
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二月田中学校。
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我々こと型染作家津田千枝子、名古屋月日荘、けろ企画の3人は、リバマの御大こと川口の正藍型染師 田中昭夫さんのお通夜へ向かった。

ひとり、またひとりと参列者が入って行く。
ご自宅から近いお寺にて。
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事後承諾ではありますが、津田の発案により、田中さんへのお悔やみの言葉全てをプリントアウトしご霊前へ供えさせて頂きました。
(※当ブログへのコメント、工芸ライター田中敦子facebookコメント、布とお茶を巡る旅浅井恵子facebookコメント、津田千枝子とけろ企画宛に届いたメール)

お焼香をして、我々は田中さんとお別れをした。
お顔はずいぶんきれいで男前だった。

帰ろうとする我々を呼び止める声がした。
オレのムスコ、三男坊氏だ。

ご家族とはお付き合いなく来たが、唯一三男さんとは2015年青山展でお目にかかっていた。

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田中さんを若返らせてググッとやわらかくした感じ。
あの頃に増して似てきた。

「みなさんのおかげで親爺の仕事を広めてもらえました、本当にありがとうございました」
「うちに型紙や藍染めがあるのが当たり前すぎて、これがすごいことだなんて僕らは考えたこともなかったです」

そんな風に言って頂けるなど思ってもおらず光栄。
「田中さんの染布や生き方に、多くの人が感動したんですよ」と申し上げる。

さいごのついでだ。
「遺影の写真はどうしたんですか」と尋ねると「親父の写真なんか持ってないんでネットで検索しました」と。
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2016年12月23日。
雑誌「七緒」取材日は見事な冬晴れだった。

ハレ姿、半纏股引の正装。
田中さんは少し照れながらも、カメラマン三浦咲恵さんの前に立った。

あの写真、もっと苦いビミョウな顔の印象だったが、遺影ではなんともまろやかに見えた。
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そのあと、2017年の名古屋月日荘展後から、思うような仕事が出来なくなった。
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藍が悪い、布が悪い、指が痛い、気分も悪い、天気も悪い。
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でもやんなくちゃなんない。
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持ち上がらない長板は、引きずってでも。
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どうしても。
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ご寵愛はバラだけ。
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そんな染布をダメ出しされ、シュンとした2017年12月。
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もし道路拡張になったら、作業場はリニューアルだと話す2018年1月。
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慣れない確定申告書類を書かされた2月。
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各方面へ寄贈する染布を選定した3月。
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藍の色が薄くて何もかもイヤになった4月。
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紺屋資料の寄贈準備もし始めた5月。
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自身の具合も芳しくなく、さらに最後の藍もおじゃんにし、ガックリ意気消沈した6月。
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何がなんでも藍が建てたくてSOSした8月。
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我々はこのとき、もう蒅の手配は出来ない、と告げた。
これまで何度も忖度してきたが「今度こそやれない」とけっこう強く。

以降、田中さんは我々に何かを頼むことをやめた。

しかし諦めきれずに自力でなんとかしようと試みたらしい。
いくつかへ問い合わせた形跡があった。

お通夜の席で伺った話として、親戚の紺屋さんから阿波藍の蒅を少し分けてもらっていた。
昨年末のことだと聞く。

もはや体力的に藍建てができるわけもないが、ともかく蒅を手に入れたのだ。

執念に震える。
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田中さんの正藍型染布には、どこか突き抜けた清々しさがある。
一切合切、何も顧みず、ひたすら真正直な染め仕事。

藍にとりつかれていた。

藍染ができなくなり、生きることが終わった。

染布そのままの清さ。
お見事でした。
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こちら、うっかり好々爺と間違われやすい写真。
「七緒」取材日に写メしたもの。

最晩年は苦虫顔が多かったが、仕事の出来がいい時だけ子どもみたいな笑顔。

世間話の出来ないひと。
藍の話しか出来ないひと。
正藍型染め以外なにも興味のないひと。

純真無垢な藍染め職人。

お会いできたことに感謝します。
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ー津田千枝子よりひと言ー

今朝 仕事場の藍甕をかき回しながら、田中さんのことを考えていました。
この甕は 30年余り前に 広幅も染められる深さのものを、
田中さんが 知り合いの方に注文して作ってくれたものです。
その前から使っている甕は、菅原匠さんから頂いたものですが、
やがて40年 途切れる事なく、庭で藍をずっと建てています。

田中さんから こうしろああしろと指導受けた事などは 無いのですが、
藍の仕事をする時の 自分の動きに何となく田中さんが頭に浮かぶ事が
よくありました。
職人の仕事は 身体の動きに無駄がなく合理的です。
私は 染めの職人は田中さんしか知りませんが、
自分で仕事をしていてなるほどと思うことがたくさんあります。

けろブログにあるようにお通夜が終わって、
田中さんの三男さんと少しお話をすることができました。
22日、田中さんの様子が少しおかしいと、お母さんから連絡があったそうです。
すぐに駆けつけてみると、苦しそうでもなく安定した様子だったので、
一度 ご自宅に戻られたのだそうですが、その一時間後くらいに
お父さんが冷たくなっていると 連絡がきたそうです。
あの時に病院に連れて行っていれば、、、と仰っていました。

でも、先月まで歩くことができ、今月も少しはお話もでき、
ご自宅で 苦しい事もなく、そのようにお亡くなりになったことは、
今までの 田中さんの歩みへの、天からの最高のご褒美だったのではないかと
藍をかき混ぜながら 思った次第です。
本物の職人は亡くなられ方も 合理的だな、いいなあ、と。

心から ご冥福をお祈りいたします。
田中さん、本当にありがとうございました。

津田千枝子
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※画像は2014年10月22日の田中紺屋にて。
「我々」の活動最初期「第一回紺屋ツアー」終了直後の田中さんと津田千枝子。

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by kerokikaku | 2019-02-28 11:10 | 正藍型染師 田中昭夫 | Comments(4)
Commented by りえです at 2019-03-01 09:05 x
記事を読んで泣きました。理想の最期だったといえどもやはり寂しいですね。
そしてけろさん、津田さん達の行動やブログは私達作り手にとっても、とても貴重でした。
染めも参考になるのはもちろんなんですが、職人としての老い方みたいなものを知ることはほとんどないですから、色々と考えるきっかけになりました。ありがとうございました。
田中さんの染めは本当おもしろくて勉強になるので寄贈なども今後の作り手にとっての宝物になりますし、全てに感謝しかありません。
Commented at 2019-03-04 11:02 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by kerokikaku at 2019-03-04 19:03
りえ様
終わってしまえば、かつて会ったことのないきれいな人でした。
ワカランチンにつき、時に頭から湯気が出そうなこともありましたが、染布のすばらしさについ気持ちがほだされてしまった。
我々とうまくいかないことも、りえさん達の出現により、田中さんは間違いなく救われたと思います。
純粋藍染(売れなくても)だけの静かな生活だったのに、晩年に余計なことをしたかな~とか、色々思います。

でも、それさえもどうでもよかったかも。
外野なんか見えないんだから。

生きてた時もだけど、死んじゃうと、色々思うなあ~。
Commented by kerokikaku at 2019-03-04 19:16
鍵コメ様
いつもありがとうございます。
なんだかわからないまま携わらせて頂き、皆様の反応を受けてはじめて、わたしも目が洗われました(遅)。
これで正藍とひとり格闘した田中紺屋は終わりました。
運良く最後の数年を見させて頂けたことはラッキーでした。


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